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近隣のイベントのお知らせ  日付 2018年1月27日

≪姫谷焼と福山藩内の近世陶磁器窯跡≫

 

平成30年1月19日(金)~3月11日(日) 9時~17時(月曜・2月6日~9日休館)

草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)にて

姫谷焼について

姫谷焼について いつ、だれが、何のための製作したのか、どのような作品が製作されたのかなど、その実体は明らかでない点が多い。昭和なってから桑田勝三によって、当時の深安郡広瀬村大字姫谷で1936年の窯元遺跡発掘が行われ、この発掘調査が公表されたことで姫谷焼が全国的に認知されるようになった。また発掘調査直後に広島県の史跡に指定された。1969年から1978年まで大規模な調査が行われた結果、窯は大きくなく内壁の焼け具合などからも生産の規模は小さく期間も長くなかったと見られている。姫谷焼の清算が行われた期間は短く、陶器が1660年代から1685年前後まで、磁器は1670年頃から1685年前後まで。主な陶工として市右衛門(?-1670年没)が挙げられる。当時の日本の色絵磁器(伊万里焼など)は中国風の作風が強く見られるが、姫谷焼はかなり和様化されている。これは伊万里焼の磁器製造技術を基に京焼の作風を取り入れたためと考えられている。政治主導で開窯した経緯からか、日用品はほとんど焼かれず、陶器としては茶碗、茶入など逸品主義の茶道用具が、磁器としては染付の中皿など高級食器が焼かれたといわれている。ただし、備後福山藩と姫谷焼との関わりを示す文献が伝世していない。なお当地は水野氏廃絶後に福山藩から切り離され江戸時代後期には豊後中津藩の支配領域になっていた。そのため姫谷焼に関して、窯跡と作品以外に経緯を物語る物証は乏しい。姫谷焼の完成品はおよそ100点が現存している。広島県重要文化財に指定されている作品もあるが、個人蔵のものが多く、一般人が鑑賞する機会は少ない。2008年に広島県立歴史博物館の企画展で現存作品の約半数が展示された。このほか和田正巳が、窯跡の土中に埋もれていた陶片数百点を収集し、福山市に寄贈した。福山市は2016年、これらの陶片を含む姫谷焼関連の遺物1732点を重要文化財に指定した。

 

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